市民力でネット上に国際水準の「学び場」を生みだそう!

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「ゆとり教育」は間違いだったのか?
すり込まれる知識ではなく、思考を積み重ねる学びを世界は指向している
「民主主義には民主主義者が必要だ」
とフリードリヒ・エーベルト財団 (FES)のホームページに書かれています。
FESは1925年に設立された、教育・研究・国際協力を通して公共政策の発展に努めている非営利団体です。FESはドイツがワイマール憲法下でナチス政権を生み出してしまった反省から、「民主主義には民主主義者が必要だ」として、若者の政治教育や国際相互理解に取り組んでいます。
日本国憲法前文は次のように始まります。「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
今、日本ではこの民主主義の理念が大きく揺らいでいます。その原因は学校や日本社会の教育にあると考えます。→日本では実行する民主主義教育が希薄です。忖度するのは民主主義者ではありません。
「教育先進国」ではどのように「学び」が行われているのか実例を上げながら考えたいと思います。

【ゆとり教育】

「ゆとり教育」とは2002年度から2010年代初期まで実施されていた「ゆとりある学校」を目指した教育カリキュラムのことです。当時、文部省で「”ゆとり教育”政策」の広報を担った寺脇 研さんは、「これからの日本、これからの教育(筑摩書房) 前川喜平さんとの共著」の中で、「小渕恵三総理大臣」とのエピソードとして、次のように書いています。
「君らがやろうとしている『ゆとり教育』は、ものすごい逆風にさらされるだろう。従来の考え方からすると、なかなか納得がいかないんだよ。学力が下がったと言われるだろうし、自由・自律とか、ゆとりを持たせるとか言ったら、わがまま勝手な人間が育ってしまって、それこそ、『個あって、公なし』だと言われてしまうだろう。」「けれど私は、総理の仕事として、個と公は両立し得る。『個あってこそ公』ということを、教育改革国民会議をとおして示していく。中身のほうは、お前たちでやってくれ。私はお前たちをサポートする。これが、あるべき官邸主導ではないだろうか」と。
急死した小渕総理に代わった森総理や続く宰相たちは、いずれも国家百年の大計を計る器ではなかったのです。結果、「ゆとり教育」は中断され、思考する教育は大きく後退してしまいました。
「ゆとり教育」(文部科学省が指定した正式な名称でない)は、「詰め込み教育」と言われる知識量偏重型の教育方針を是正し、思考力を鍛える学習に重きを置いた経験重視型の教育方針をもって、学習時間と内容を減らしてゆとりある学校を目指し、1980年度、1992年度、2002年度から施行された学習指導要領に沿った教育のことで、ゆとり教育が行われた期間の範囲については諸説あり、以下のような見方があります。

続きはPDFにて